人は意味を求める。
何をするにも、意味が必要。
無意味なことはできない。
そういう生き物。
例えばこんな拷問がある。
「右の台に積まれた砲弾を、左に移せ。それが終わったら右に戻せ。それが終わったらまた左に移せ。ただ延々とそれをやり続けろ」
一見、大したこと無く見える。
でもそれをやらされた人間は、あまりの無意味さに、最終的に発狂して死ぬと言う。
人は意味を求める。
働くのはお金を得るためだ。
勉強は頭を良くするため。
遊ぶのは楽しむため、ストレスを発散するため。
何をするにも意味が必要。
もちろん、生きることにも意味を求める。
例えば宗教は、そんな人の習性に付け込んでいる。
人が生きることに、基本的に大した意味はない。
生まれてきたから生きている。死ねないから生きている。ただそれだけ。
しかし人はそれに耐えられない。
だから宗教はこういう。
「今辛い思いをして生きているのは、死んだあと極楽に行くための修行なのだ」
と。
意味を与え、そして自分のしていることが無駄ではない、という救済。
それを求めるのがひとの本能、本質。
世の物語にハッピーエンドが多いのも、意味と救済を求める人の性質によるもの。
さて、私の生に意味はあるのか。
生きた先に救いはあるのか
きっと意味など無い。
ただ死ねないだけ、生に縋っているだけ。
そして救いもない。
ただ漫然と生き、死んだ先には無が待っている。
でも、私は生き続ける。
死ねないから。
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